請求書の祈りと領収書の祈り
最近こんな本を読みました。
別にキリスト教に興味があるとか
そういうわけじゃないんだけどね。
聖書ってどんなもんなのかなー。
っていうのはずーっと気になってて。
とはいえ、全部読むわけには行かないし。
めんどくさいからね。
で、この本の中のコラムで
「請求書の祈り」と「領収書の祈り」っていうフレーズがありました。
・請求書の祈り
願望が実現しますように!という祈り。
【例】
設定6を取れますように
【結果】
実現しない。
【理由】
1.設定6が取れることが果たしていいことなのか?
人の価値観からするといいことかもしれないが、神の価値観からは
いいことではないかもしれない。
2.自分が設定6を取るということは、誰かが設定6を取れないということになる。
すべての人を愛する神はそのようなことをしない。
これ、本に書いてあるんですからね。
例は違うけれども。
・領収書の祈り
何かが実現したときに「感謝の意」を示す祈り
【例】
設定6を取れました。ありがとうございます。
宗教的観点からいうと、請求書の祈りではなく
領収書の祈りが本来の「信仰」というものだそうです。
領収書の祈りをささげた時もその陰には
犠牲になった人がいるんじゃないのかなー?
とおもいましたが・・・。
とりあえず、今後は領収書の祈り。
何かを行った後、それに対する感謝。
これを大事にしていこうかなー。と思いました。
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