【スロコラム】幸福三説について
むか~し、「運を育てる」という本を読みました。
こんな本。
一応記事も書いた。
勝負の世界に生きるものとして勝負の世界に生きる大先輩に学んだ。
その後、友人が読んでくれて感想を教えてくれたのですが、
「惜福っていうキーワードが気になったよー」と教えてくれました。
私が読んだときはさらっとスルーしてしまった部分なんですが
読み返してみるとこりゃ、いい!
他の人の書評を見たり、感想を聞いたりするのって面白いですね!
で、惜福とはなんぞや?
あんまりスロットだといい例が無いんですけどね。
自らに与えられた福は全て享受し尽くすのがスロットの醍醐味だと思いますので。
たまたまスロットで勝てた時には、
散財せずにちょっと残しておくとかそんな感じですかね?
あとは考え方ですねー。
閉店終了食らった時に
「あぁ、なんてついてないんだ」と思うのではなく
「天に運を預けておいただけだ」と思えばだいぶ気が楽ですよね。
※これ、感想教えてくれた友人のまんまパクリですwww
この本の中には与えられた100万円を使い切る・使いきらないみたいな
エピソードが出てきます。
惜福の工夫がある人は使いきらず、
惜福の工夫がない人は使いきっちゃう。みたいな話だったかな。
食べ物だって種まで全部食べちゃったら
そりゃ美味しいけど次の幸福(実)はできないじゃないですか?
そんな感じですかね。
で、この本の中には惜福しか乗ってないんですが、
幸田露伴は幸福三説を唱えています。
【幸福三説】
1.惜福
さっき説明したとおり。
2.分福
幸福を人に分け与えること。
自分ひとりの幸福はありえない、周囲を幸福にすることが、自らの幸福につながる。
「恩送り」「情けは人のためならず」と近い考え方である。
露伴は「すべて人世の事は時計の振子のようなもので、右へ動かした丈は左へ動き、 左へ動いた丈は右に動くもの、自分から福を分ち与えれば人もまた自分に福を分ち与えるものだ」と述べている。
3.植福
将来にわたって幸せであり続けるように、今から幸福の種を蒔いておくこと、精進(正しい努力)し続けること。
過去に自らが蒔いた種が芽を出し、今の自分を創っている。
過去を書き替えることはできないが、今から良い種を蒔き続ければ、望ましい未来につなげることが出来る
引用:すべてwikipedia
この幸福三説が説かれている本が「努力論」だったかな?
青空文庫で読もうとしたのですが、即挫折しましたwww
分福は福を分け与えることですねー。
・目押しに困っている人がいたら助けてあげる
・隣の人がメダルを落としたら拾ってあげる
こういう小さなことでも幸福を与えることにつながると思います。
(分け与えてるかって言われると微妙ですけど。)
相手が気分が良くなれば幸福を分け与えたことになるんじゃないですかねぇ。
植福については、スロットで勝てているのであれば
その勝てている分のお金を何かに消費する(浪費じゃないよ)
で、身になるものに消費できていたのであれば
巡り巡って自分の幸福になるっていう感じですかねー。
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こんな本。
一応記事も書いた。
勝負の世界に生きるものとして勝負の世界に生きる大先輩に学んだ。
その後、友人が読んでくれて感想を教えてくれたのですが、
「惜福っていうキーワードが気になったよー」と教えてくれました。
私が読んだときはさらっとスルーしてしまった部分なんですが
読み返してみるとこりゃ、いい!
他の人の書評を見たり、感想を聞いたりするのって面白いですね!
で、惜福とはなんぞや?
【惜福】
自らに与えられた福を、取り尽くし、使い尽くしてしまわずに、天に預けておく、ということ。
その心掛けが、再度運にめぐり合う確率を高くする、と説かれる。
(幸田)露伴は「幸福に遇う人を観ると、多くは「惜福」の工夫のある人であって、然らざる否運の人を観ると、十の八、九までは少しも惜福の工夫のない人である。
福を取り尽くしてしまわぬが惜福であり、また使い尽くしてしまわぬが惜福である。惜福の工夫を積んでいる人が、不思議にまた福に遇うものであり、惜福の工夫に欠けて居る人が不思議に福に遇わぬものであることは、面白い世間の現象である」と述べている。
引用:wikipedia
自らに与えられた福を、取り尽くし、使い尽くしてしまわずに、天に預けておく、ということ。
その心掛けが、再度運にめぐり合う確率を高くする、と説かれる。
(幸田)露伴は「幸福に遇う人を観ると、多くは「惜福」の工夫のある人であって、然らざる否運の人を観ると、十の八、九までは少しも惜福の工夫のない人である。
福を取り尽くしてしまわぬが惜福であり、また使い尽くしてしまわぬが惜福である。惜福の工夫を積んでいる人が、不思議にまた福に遇うものであり、惜福の工夫に欠けて居る人が不思議に福に遇わぬものであることは、面白い世間の現象である」と述べている。
引用:wikipedia
あんまりスロットだといい例が無いんですけどね。
自らに与えられた福は全て享受し尽くすのがスロットの醍醐味だと思いますので。
たまたまスロットで勝てた時には、
散財せずにちょっと残しておくとかそんな感じですかね?
あとは考え方ですねー。
閉店終了食らった時に
「あぁ、なんてついてないんだ」と思うのではなく
「天に運を預けておいただけだ」と思えばだいぶ気が楽ですよね。
※これ、感想教えてくれた友人のまんまパクリですwww
この本の中には与えられた100万円を使い切る・使いきらないみたいな
エピソードが出てきます。
惜福の工夫がある人は使いきらず、
惜福の工夫がない人は使いきっちゃう。みたいな話だったかな。
食べ物だって種まで全部食べちゃったら
そりゃ美味しいけど次の幸福(実)はできないじゃないですか?
そんな感じですかね。
で、この本の中には惜福しか乗ってないんですが、
幸田露伴は幸福三説を唱えています。
【幸福三説】
1.惜福
さっき説明したとおり。
2.分福
幸福を人に分け与えること。
自分ひとりの幸福はありえない、周囲を幸福にすることが、自らの幸福につながる。
「恩送り」「情けは人のためならず」と近い考え方である。
露伴は「すべて人世の事は時計の振子のようなもので、右へ動かした丈は左へ動き、 左へ動いた丈は右に動くもの、自分から福を分ち与えれば人もまた自分に福を分ち与えるものだ」と述べている。
3.植福
将来にわたって幸せであり続けるように、今から幸福の種を蒔いておくこと、精進(正しい努力)し続けること。
過去に自らが蒔いた種が芽を出し、今の自分を創っている。
過去を書き替えることはできないが、今から良い種を蒔き続ければ、望ましい未来につなげることが出来る
引用:すべてwikipedia
この幸福三説が説かれている本が「努力論」だったかな?
青空文庫で読もうとしたのですが、即挫折しましたwww
分福は福を分け与えることですねー。
・目押しに困っている人がいたら助けてあげる
・隣の人がメダルを落としたら拾ってあげる
こういう小さなことでも幸福を与えることにつながると思います。
(分け与えてるかって言われると微妙ですけど。)
相手が気分が良くなれば幸福を分け与えたことになるんじゃないですかねぇ。
植福については、スロットで勝てているのであれば
その勝てている分のお金を何かに消費する(浪費じゃないよ)
で、身になるものに消費できていたのであれば
巡り巡って自分の幸福になるっていう感じですかねー。
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